第三話:その1 質的調査について-「話を聞くこと」あれこれ
今週から質的調査についてとりあげてみたいと思います。今日は初日なので、まずは質的調査というものの前提について、思うところを重点的に。
①「コレを知りたい」に潜む自分のバイアス
調査の文脈で言うと、「話を聞く」という機会は、インタビューなどの質的調査として考えられるのが普通。質的調査を左右する最大要因のひとつは、調査を依頼する人の想像する力。言い換えれば、自分の問いについて、どれぐらいの回答を想定できるか、ということです。インタビューをプランニングする側は、その想像の幅にチャレンジしながら、フローを作らなくてはなりません。同時に、時間とパワーの配分(そして、当然のことながらコスト)からすると必然的に依頼者は自分のビジネスの関心だけにそって話を聞いていきたいと思うもの。限られた時間の中で、とりあげる「自分の関心だけに偏った問題を取り上げること」と「問題についての正しい絞り込み」は似て非なるものですが、その見極めはとても難しいことです。依頼者の問題意識のウエイトや位置づけは調査対象者のウエイトと問題意識とぴったり重なるとは限りません。むしろ大きく異なっていることも多いので、インタビューの導入時に確認しておかなくてはならないでしょう。非常に基本的なことながら、それがきちんと行われることは残念ながら少ないようです。世の中で売っている自社の製品について知りたいとすれば、自分の担当分野(製品なのか、CMなのか、店頭なのか、サービスなのか等々)が、モノの購入に大きく関わっている、ということにしておきたい思うのが人情でしょう。また、調査をプランニングする方は、担当分野について重点的に知りたいというクライアントのニーズに合わせようとして、その問われている内容についての相対的な重要性を確認すると、それが大して重要ではなかったときにクライアントの依頼を無駄にしたような気になるため、それをせずに済ませたりすることもあるでしょう。「コレを知りたい」という出発点には、そもそもバイアスが潜んでいることを認識した方が良さそうです。
いろいろな仮説を作らずに、本当に心を虚しくして聞ける人がいたら、それは賞賛に値すると思いますが、そんな人は非常に稀です。そもそも「心を虚しくする」ための修行が宗教の大事な要素になるぐらいなのに、お金を得るという目的のためのビジネスという行為について俗世の人間が心を虚しくして対象者の気持ちなど聞けるわけがないのでは、と思います。なので、「心を虚しくはできないが、いろいろな回答が出てきた場合の心の準備として、様々な場合を想定して臨む」、ということが現実的かと思います。一緒にインタビューを聞く方がいらしたら、その方々と事前に仮説を交換してみてはどうでしょうか。それを調査をプランする人間にも共有することができれば、仮説のパターンにあわせた質問の幅も広がり、発見につながる可能性も高まるかと思います。核心的な回答は直球の質問で得られることは非常に少ないものです。もし直球の質問で大発見があったなら、それはあまりにも対象を知らなさすぎた、ということになるでしょう。
②薄っぺらい客観性を捨てる
質的調査というのは対話です。なので、誰が対話をコントロールするかによって、結果が異なることも多いのです。何が正しい、正しくないということではなく、その場では、その対話がなされた、ということが結果です。確かに、科学として客観的に評価されうる再現性、信頼性、妥当性にも事欠いた偶発的なものであることは否めません。
量的調査ならば、少なくともそんなことはないでしょう。あるパターンに添った質問をあるサンプルにすれば、ある回答パターンが得られると思います。しかし、発見は少ないものです。同じことを量的調査と質的調査で聞いても、自分が意識していないが、実際はしていることについてはどちらもスルーしてしまうことが多いでしょう。しかし、質的調査なら、同じようにスルーしても(=たとえば、ある商品について、「興味がない」といったん答えても)、インタビュアーがたとえば、「今ね、(対象となっている商品の)ここをご覧になって、触っていたけれど、それでも興味なかった?」と聞くと、対象者が「えっーっと、何でだろう。自分では触っていることは意識していなかった。えーっと、そういえば、それはなんとなく、ここのつるつる(ざらざら)が気になって、なんか自分にはぴったりこないな、と思って...。」という風に答えた、というような状況があった時に、ふと問題の端緒が表れ、ひもとけてくることがあります。
インタビュアーが行うプルーブとは、対象者の発した言葉に反応して、新たな言葉を引き出すことだと狭く理解されていることが多いと思われていますが、それは違います。インタビュアーの力量は、対象者となっている人の「言葉」をプルーブするだけでなく、観察された「反応」全体を見たときの「違和感」をプルーブできるかどうかにかかっています。反応は、ことばで表現されるとは限りません。本人も気づかないうちに、からだが反応している場合があります。その意味では、何をプルーブするか、は何を観察して、何をプルーブの糸口にするかにかかっているのです。
そういう手法が客観的なのか?という問いについては、もちろんNOでしょう。むしろ、求められるのは精度の高い主観ではないでしょうか。どこに注目するかはインタビュアー次第ですが、その注目によって出てくるものの中に、発見があることが多いのです。もちろん、それが「発見だ」とわかることは、インタビュアーだけでなく依頼者の仮説レベルと能力にも大きく関わります。①で述べた内容でですね。
「こうすれば発見できる」という確たる手法が確立しているわけではありません。属人的といえば属人的な世界です。質的調査では、客観性にこだわると発見が少なくなります。なので、客観性の前にはいつも精度の高い主観があると考える方がプランニングも意義ある内容になるでしょう。主観的、ということを怖がるが故に最初から客観性に走ることは、質的調査を窮屈なものにします。
さて、今日はこのぐらいで。来週はもう少し具体的な話もできたらな、と思っています。
コメントする