洞窟の記憶

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先月、はじめてシーカヤックを経験して、自分で漕いで洞窟に入ってみた。

その洞窟のある岩の景色が写真に残っていたので、しばし眺めていた。

ひとつき経って、私が覚えている洞窟に入るときの記憶のメインは、

操縦おぼつかない左右の手の筋肉の感覚。

人間の情報処理なんて、自分が危険だ!という信号が出てしまえば、

危険を回避するポイントにしか注意がいかないものなんだろうな。

今、洞窟の写真を見返して全景をみると、こんな形だったのか、と思う。

映像として、私がかすかに記憶しているのは水面から少し上の岩のあたり、

シーカヤックの舳先があたる部分のでっぱり。

私にとっては、この洞窟に関する映像としての情報の記憶は、

ぶつかるかもしれない「舳先があたりそうな近辺のでっぱり形状」でしかないのだ。

CIMG0043.JPG

記憶に貯蔵された主観的情報と客観的情報

(それは多くは全貌を表現するものであるが)、

両者のずれは、写真等の映像という手段によって、 

随分認識されるようになったと思う。

だからといって、普段の人間の生活の客観性が向上した、

とはあまり思えない。

生き物にとって、自分で「みている・みた」主観的な有り様が、

安全と幸せという、これまた主観的な感情と不可分なのだろう。

 

 

 

 

だとすれば、

ありとあらゆる問題解決のために必要とされる客観性は、それを自分のこととして認識し、体得すること自体、

人間にとってはそもそも、かなりの修行モノなんだろうね。 

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