快・不快と言の葉

| コメント(0)

前頭葉でいくら難しいことを考えていても、

結局その情報は、「快・不快」の判断を司る脳幹に送られて、スクリーニングされ、全身に指示系統が廻る、

 

というような話を昨日聞いた。

結局、「快」と判断されなければ、スルーなわけだ。

 

一方、言葉はどうして生まれてきたのか、ということを考えてみると、

つがいを求める呼びかけ(快)と、

仲間に危険を知らせる警報(不快)が、

獣の鳴き声を超えて、言の葉になり、

その葉っぱの意味が共有化され、

たくさんの意味を持った葉っぱたちが言葉として蓄積され、

構造化されていったのではないかと勝手に想像してみる。

 

言の葉は覚えきれないほどあって、

一方で、生き物としての快・不快が、何につけても根本になるのであれば、

快・不快の表現方法なんて、自由自在に操れるかと思いきや、そうでもない。

 

伝えるという切り口で考えてみると、

快・不快をどう適切に表現するかということについては、

あんがい、よくわからない人が多いんじゃないかしらん、

教えられることも少ないんじゃないかしらん、

などと思いを巡らせてみる。

コメントする