似合うもの

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病院の待合室で読んでいた雑誌に、ちょうど40代半ば以降になると、どんな洋服を買ったらいいかよくわからなくなる、というようなことが書いてあった。

世の中を見渡してみるとたくさんモノがあふれており、ちょっと好きなものぐらい買えないわけではないけれど、なんだか買いたい気持ちにならない。

考えて見ると、結構これは根深い問題が関連しているのかもしれない。

「ワードローブの格上げをして、当たり前に見えるけれど、自分をきれいに見せてくれる上質なものを選びましょう」なんていう記述がアドバイスとして載っているが、

何せ、お手本が極めて少ないから、そんなアドバイスも宙に浮く。

中途半端に買ってしまうとクローゼットがぱんぱんになるだけ。そういうブレーキを超えて「上質らしきもの」を着てみてもなんだかぱっとしない。

「高いの買わされてだまされた感じ」、こんな苦虫感覚満載のお買い物感だけが残る。これはまずいね。

老いた日本人は本当に洋服なんか似合うのか、自分もきっと似合わない、みんな似合っていないし。

結局、仕方なく着ているだけではないのか、そんな風にも思える。

マーケットが高齢化していくと、求められるコンセプトも変化してくるのはもちろんだが、そのコンセプトに合致したモノのありようや質も根本的に違うモノが求められてきている、と思う。

洋服に限ったことではなく、さまざまな情報の断片をつなぎ合わせてみると、女性についてはあらゆるカテゴリーに共通する傾向のような気がする(男性はよく知らない)。

求められるコンセプトやモノのありようの集積は、つまりはブランドのエクイティ(のれん)のありよう、会社の存在理由、を左右する大きな問題にじわじわと進展していく。

戦略ということばは嫌いだけれど、これを「生き残る確率の高い道筋探索」として考えてみると、大きな会社こそ、対応が遅れる、ということもあるだろう。

 

病院通いはしばらく続きそうなので、その周辺をきょろきょろしていると渡辺橋近辺にこんな緑が。

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    白とグレー、ガラスとコンクリートの街が苦手な私は、

    こういう片隅を街中で見つけると、本当にほっとしてしまう。

    小さくて元気のあった会社がその勢いのお陰でめでたく社屋も大きなビルになった途端、

  ああ、と、 なんだかイヤになってしまう。 私には似合わない環境なわけだ。

    ビルだけでなく、(自分を含む)人まで変えてしまうのだから。

    まあ、そういうことが繰り返しあったな、と思いつつ、

    大きくなることなんか考えもせずに、小さな会社でごちゃごちゃやっている今の私は

    とても幸せなのだろう。

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