時限切りの練習

| コメント(0)

右の胸に「良性とされる腫瘍」が3つある。

半年間隔のつもりが、いつの間にか1年、あー行かなきゃと思って結局1年半間隔で、ずぼらな定期検診を受けてまる6年ほどになる。

先週、「良性とされる腫瘍」がない方の左の胸から出血した。

昨年行ってから、1年経った頃合いで大阪「ほたるまち」にある「大阪ブレストクリニック」に行く羽目になった。

9時20分の予約で終了したのは11時20分。2時間仕事だ。

何回やっても、あと5ミリ「はさみこみ締め」られたら胸がつぶれると思わせてくれるマンモグラフィーではあるが、手慣れた感じのお姉さんのおかげで随分助けられた。

お姉さん自ら、撮影ほやほやのマンモグラフィー画像が診察用に十分鮮明であるかどうかチェックするというので、その判断のちょいとのあいだ、カーテンに隔てられた丸椅子でちんまりと待つ。

カーテンがぱらっと開いて、腫瘍の影が数個あるわたしの画像を見たはずの彼女は、「映像が確認できました」とまるで表情を変えずに言ってくれた。

腫瘍の形を見るとき、でこぼこしたシルエットであればアヤシイらしい。彼女はこれまでいくつアヤシイ「でこぼこ」を見てきたのだろう。

そのたびに何度、顔の筋肉を無表情に固めたまま、「映像が確認できました」「次の検査でお呼びするまで、待合室でお待ちください」と伝えてきたのだろう。

なんでかわからんが頭が下がる思いがした。

 

私の右胸の腫瘍はでこぼこはほとんどなく、比較的つるんとしている。なので今回も良性と判断された。前回と変化なし。

一方、出血した左胸の血液の細胞診結果が出るのは来週なので、まあ宙ぶらりんな感じで一週間が過ぎる。

がんであっても存命率は高くなっているし、それほど恐れるものではない。

ただ、仮に残された時間が2年だったら、3年だったら、と考えて見ることは決して無駄じゃない。

生きることは死ぬまでのひまつぶし、というようなことを言っているのはみうらじゅんだったか。

時限を仮定して、その間のひまつぶしをどうするか、ちょっとは真剣に検討してみたりする。

平均寿命まで生きるという想定はうんざり。でもそこに至るまでに死ぬ、としたらいつ?

わからん。

であれば、2年、3年というイメージ可能な時限設定はある意味、ありがたい話である。  

 

さて、堂島のほたるまちは、ここ数年で整備されてきたリバーサイドのビル街である。

大大阪よもう一度、という想いがあるのかどうかは知らんが、洗練と学問のにおいをまとうことを意識したまち。

クリニックのあるビルの一階には、大阪は十三発祥の「ねぎ焼きのやまもと」が入っている。

名物はすじねぎ焼き。

最初に行ったのは今から25年以上も前、すじねぎ焼きという食べ物がまだ珍しく、十三のやまもと本店までわざわざ足を運んだことが懐かしい。

十三の店の前はつぎはぎでこぼこのアスファルト。店の排気口から出た油がしみこんでアスファルトが黒光りしているような通りの状景。

店の壁と鉄板の間は大人二人分ほどの幅。食べている人の後ろに順番を待っている人が立っているからぎゅうぎゅう。鉄板に囲まれたスペースでは太ったお姉ちゃんとやせたお姉ちゃんが休みなくねぎ焼きを焼いていた。

鉄板と人の熱で店内は最高にむんむん。冷房も何もきかん。生ビールでしのぐしかない。 

 

で、ほたるまちにやまもと、てか。

ガラスと樹脂とコンクリートとステンレスのつるんとした無臭の箱の中に、すじねぎ焼き登場。

冷房が効くゆったりした店のなかで、すじねぎ焼きに合わせて、ここは軽めの赤ワイン?

十三まで行くパワーがないもんにはありがたいが、それってどうなのか。

すごい進化なのかもしれない。

が、よくわからん。

あと10年もしたら、周囲がいい感じに薄汚れてきて馴染んでくるのかもしれんけど。

ああいう街っていい感じに薄汚れて活気が保たれている、ということはあるんやろか。 

コメントする