地下鉄トンネル窓ガラスは人間の生気だけをうつす。
細かい皺がうつるわけではないのに、顔のたるみや輪郭のゆがみがそのまま出る。
髪の一本一本が見えるわけでもないのに、髪の健康や分量までみてとれる。
ちょっとごまかしたつもりの年齢も窓ガラススクリーンの上ではバレバレだ。
テレビで俳優の仲代達矢が、「人生の秋を赤く燃えるように生きる」という意味合いで、
「青春」になぞらえた造語として「赤秋」という言い方を紹介していた。
この名優さえ、滑舌は悪くなり、台詞は覚えられず、新作の稽古に苦労しているようすが同時に放映されていた。
これを「赤秋」の姿と呼ぶことには、申し訳ないが、どこか共感できない。
老い方の肯定的すぎる呼称は、表現が素敵であればあるほど実像とはずれて感じて、第三者目線ではただ哀しい。
どこかに「青春」の基準では評価できない、強力な何かが「赤秋」にはあるのだろうか。
「哀しい」姿に目を背けなければ、そこに何かが見えるのだろうか。
ほんとうに「赤秋」にある人を地下鉄窓ガラススクリーンに映してみたら、色はなくとも炎の影が見えるのだろうか。
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