盆休みというまとまった休みが無くても、墓参りなどすれば、亡き人々のことを思い出す。強い感情を伴わず、死というものについて思いを巡らす機会となる。今まで、この世に生まれてきた人間のうち、今、生きている人々をのぞけば、「ほとんど」すべては死んでしまった、という事実。いったい、今までどれぐらいの人間が生まれ、そして死んでいったのだろう。おびただしい数の「死」でできた層の上に今の「生」が一時的にちょこんとのっかっている。しばらくすると、今の「生」は巨大な「死」の層に吸収される。ちなみに、「ほとんど」と表現したのは、未だ生まれ出でていないが故に「生」としてカウントするわけにいかず、そしてもちろん「死」と対極にある、胎児という存在を意識したからである。今の「生」とその上にぽっかり浮かんでいる「胎児」たち。「死」の層の奥底から見えない何かがへその緒のように「胎児」につながっている心象。輪廻を信じるとか信じないということではなく、墓参りをした後には、なぜか妊婦に視線が吸い寄せられる。人に寄り添ったときのような生ぬるい温度と湿度に包まれて過ごす実家での盆。
コメントする