ずらしてやってきたジャグリングな日々

アラフォーというにはもう図々しい年齢、クライアントさんは東京なのに大阪在住、自由のきかない子持ちの女が、会社をはじめてみた。マーケティング(視点の解決)を標榜する会社の経歴があるにもかかわらず、はじめた会社は第一義的にソリューションを約束しない、おかしな会社。

はるか20年以上前、大学の卒業文集に、「20年後の自分」を書く欄があった。そこに私は、「頭にカーラーを巻いたまま、昼ドラを寝ながら見ているいかにも中年の専業主婦」といったようなことを書いた。さて今の私は、頭にはカーラーを巻くほどの髪の長さはなく、ここ数年、昼ドラは見たことがない。「結婚していて、家事を主担当している」という意味では主婦だが、専業主婦ではない。「家事や仕事や子育てを、すべて並行処理しているジャグリング中年女性」というのが現在の姿。つまり、中年というゆるぎない人生の時間帯と関連する内容以外は、推定した自己像はすべて外れている。

思えば、そのとき、私は、どうなりたいのか、を考えずに、どうありそうなのか、だけを考えていた。全体としてどうなりたいのか、ということをそれぞれの時代状況でつきつめると、何かを選び、何かを捨てなくてはならない。それはイヤだから、つきつめることを無視した。

結局、怖がりなのにあきらめの悪い私は、まず手近にどうありたいのか、ということを考え、そして、いろんな手近要素の部分について時期をずらしてチャレンジしてみた。そしてそれらの部分部分をくっつけてみて、全体から眺め、なんとなくOKか、ということを直観的に判断して次のステップを決めるということを、ずっとやってきた。そう、わかりやすいソリューションを避けてきたのである。そもそも。

そして今日に至り、ジャグリング並行処理な人生を送っている。過ぎ来し方、そのままである。個人のブログでは、そんな日々を、徒然に綴っていこうと思う。