あてもなく書店をうろついていると、正岡子規の「仰臥漫録」に出会う。いつか手に取ろうと思っていて忘れたままだった。
今から100年以上前、コンピュータなど、かけらも生まれてはいないが、中身はさしずめ重病患者本人による病状ブログ。日付、天気、食べたもの、雑感、スケッチ、そして俳句。まず、食事の記録に驚かされる。
たとえば、仰臥漫録が始まって3日目の昼食の記述。
昼 鰹のさしみ 粥三椀 みそ汁 佃煮 梨二つ 葡萄酒一杯(これは食事の例なり 前日日記にぬかす)
とある。肺がすでに左右空洞で、生きていることすら奇跡とされていた。にもかかわらず、昼からこれだけの分量。食事の例らしき(!)、昼から葡萄酒。そして、昨日書き忘れた、と記す完璧主義。
そして、この日は俳句3句と訪問者の動静、会話の中身。天気は、変化も記録。「朝曇 後晴」、「雨 夕方遠雷」など。
とんでもない観察力と描写力、そして書き(描き)記す執念である。
また、この35歳の重病人は結婚に失敗した妹を、看護婦 兼 料理人 兼 秘書 兼 あらゆる家政雑事担当者として側に置く。この妹「律」のことを、
「律は理窟詰めの女なり 同感同情のなき木石の如き女なり 義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むことなし 病人の命ずることは何にてもすれども婉曲に諷したることなどは少しもわからず...」と書きつらねる。
まったく。不治の病を看病させた肉親だからこそ、スケープゴートの対象でもあったよう。でも「律」なしにはあり得ない、と後に記したり。今ならさしずめ精神的DVか。「律」さん、ご苦労さんだったねえ。
この日記の一月後、こんな記述にも目が留まった。
「十六、七歳の頃世の希望は太政大臣となるにありき 上京後始めて哲学ということを始めて哲学ということを聞き哲学ほど高尚なる者は他になしと思ひ哲学者たらんことを思へり 後また文学の末技に有らざるを知るや生来好めることとて文学を志すに至れり...」
ふんふん、なるほど。自分探ししてたんだ、と読み進めると、健康だったらやってみたかったこと、として、
「幼稚園の先生をやつて見たしと思へど財産少しなくては世には出来ず、造林の事なども面白かるべきもその方の学問せざりし故今更山林の技師として雇はるるの資格なし...」
なんと、正岡子規が幼稚園の先生?! 造林?!
30代半ばで生涯を閉じた、それでも偉大な功績のある正岡子規。仮に、現代の医学で生き延びていたら?
林の側に立地する幼稚園の理事長。出戻り妹の「律」は兄にこき使われて、園の運営をしていたのだろうか。
なんだか笑えてきた。
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